はじめまして、ゆらいむです。
今回は「生きがいがない」理由について解説します。
どうして生きがいが見つからないのだろう。
1.心理的欲求について
心理的欲求とは、「自分の心を満たしたい」と思うことです。
「誰かとお話がしたい」
「あの人に認めてもらいたい」
「全国大会で優勝したい」
これらはすべて心理的欲求であり、その人にとっての生きがいでもあります。
心理的欲求については、以下の記事で詳しく解説しています。
2.生理的欲求について
人間の欲求には「心理的欲求」の他にもうひとつ、「生理的欲求」というものがあります。
生理的欲求とは、食欲・睡眠欲・排泄欲の3つのことです。
「空腹を満たしたい」と思うのは生理的欲求ですが、「美味しいものを食べたい」と思うのは心理的欲求です。
生理的欲求がないと生きれない。
3.生きがいがない理由
生きがいがないということは、つまり心理的な欲求がないということです。
欲求がなければ、行動意欲も起きません。
なぜないのでしょうか?
結論から言うと、それは「正しさに囚われているから」です。
1.正しさへの固執とは
相手に迷惑をかけてはいけない
相手を不快にさせてはいけない
健康に良いものを食べなければいけない
有意義な時間を過ごさなければいけない
無駄なことをしてはいけない
失敗してはいけない
だらだらしていてはいけない
頑張らないといけない
年齢とともに向上しなければいけない
お金を浪費してはいけない
これらは全て正しいことです。そして完璧主義な人、真面目な人ほど、この正しさに囚われてしまいます。
人間は「~したい」という心理的欲求にはやる気を持って行動することができますが、「~しなければいけない」という強制に対してはやる気をもつことができません。
これらの正しいことを自分に強制し続けると、自分の心理的欲求が湧かなくなり、生きがいが見つからなくなります。
やる気を持つことまで強要される時代もありました。
2.心理的欲求が正しさで潰される
「ゲームがしたい」と思っても
「いや、ゲームなんて時間の無駄だ。なんの生産性もない。」という正しさで潰される。
「蟹が食べたい」と思っても
「いや、お金の無駄だ。浪費してはいけない」という正しさで潰される。
「フリーランスになろうかな」と思っても
「いや、安定した職でないと危ない。養えない」という正しさに潰される。
こうして心理的欲求を正しさで潰し続けていると、欲求自体が生まれてこなくなります。
欲求が生まれなければ、生きがいや活力や覇気を持つことができません。
無意識のうちに心から楽しめることがなくなっていきます。
4.生きがいを持つためには
生きがいを持つためには、自分の心理的欲求を見つめ直す必要があります。
そしてどういう理由でその欲求がつぶれているのかを分析する必要があります。
例えば、
「ギャンブルがしたい」という心理的欲求がありました。
しかし、「お金の無駄、時間の無駄、負けたときに落ち込む」という正しさから、その欲求は押し込めていました。
このような場合、まずは自分で自分に「ギャンブルがしたい」という欲求を認めさせる。認知する。正しくないという理由だけでその気持ちを潰さない。
自分の心理的欲求と時間をかけて話すことで、少しづつ生きがい(心理的欲求)が見つかってきます。
自分にとっての生きがいは、他人にとっては正しくないことかもしれません。