はじめまして、ゆらいむです。
自分の性格を知ることで、生きやすくなる理由を解説していきます。
1.性格はどのように決まるのか?
性格はどのように決まるかですが、これは「生まれつきの気質」と「生まれてからの経験」の2つの要因によって形成されます。
「生まれつきの気質」については、遺伝の段階で決定されるものであり、変えることはできません。
一方、「生まれてからの経験」については、子供のころなどは外部的要因(周りの人間)によるものが大きいですが、成人後は自分の行動や努力などによって、より良く(生きやすく)することができる部分です。
この2つの要因の比率は、私の体感的には50%:50%であり、特に様々のことを経験する子供のころは、自分の性格がよく変わることを感じられるでしょう。
子供のころは、自分の性格を特定するのは難しいかもしれません。
2.自分の性格を知ると生きやすくなる理由
自分の性格を知ることは、この社会で生きていくうえでとても大切な基盤です。
この世界には、様々な性格を持った人間がいます。
ある人にとっては、楽しいこと有意義なことと感じていても、別の人にとってはそうでないかもしれません。
また、自分の性格(自分らしさ)を知らないと、自分らしく成長することができません。ついつい他人と自分を比較してしまったり、できない自分を責めてしまったりすることになります。
それぞれの性格にはそれぞれの長所と短所があり、自分の性格を知ることで、自分だけの道が見えてきます。
自分の性格を知ることで、自分らしく前向きに生きることができる!
3.自分だけの性格を知ろう!
1.生まれつきの気質を知る
まずは自分の生まれつきの気質を知りましょう。ここでは、心理学者のマービン・ズッカーマンの提唱をもとに考察します。
1.感情や刺激への敏感さ
→他者の感情や外部の刺激に敏感に反応する気質。HSP気質ともいわれます。
「Highly Sensitive Person」
2.好奇心旺盛さ
→活発に行動する気質、やる気が溢れる気質。HSS気質ともいわれます。
「High Sensation Seeking」
感情や刺激への敏感さ の有無(2パターン)
好奇心旺盛さ の有無(2パターン)
→合計4パターン!
➀敏感さ有、好奇心旺盛さ有
→新しいことに興味を抱きやすく行動的だが、思慮深い一面も持つ。HSS型HSP。
②敏感さ有、好奇心旺盛さ無
→賑やかな場所が苦手で、自分の世界でじっとしているのを好む。HSP。
③敏感さ無、好奇心旺盛さ有
→やる気に満ち溢れているが、退屈もしやすい。感覚や直感的にに行動する。HSS。
④敏感さ無、好奇心旺盛さ無
→基本的には受け身タイプで、淡々と日常を送る
2.生まれてからの経験を知る
生まれてからの経験が、どう性格形成にかかわるのか?それは例えば、
のびのびと育てられる→おおらかな性格になっていく。
ルールを決められた生活を送る→厳格な性格になっていく。
真面目な人間が認められる学校教育→真面目な性格になっていく。
などがあります。
詳しく言うと、生まれてからの生活や経験によって、
興味関心が、内向的か外交的か?
情報の受け取りが、感覚的か直感的か?
判断基準が、論理的か感情的か?
物事への姿勢が、判断型か知覚型か?
といった考え方が形成されてきます。
生活環境が変わったり、心境の変化が起こるような出来事に出会ったりすると、この部分はコロコロと変化することが多いです。
そのため、多感な子供のころは、自分の性格に変化が起こることが多いです。
様々な性格を体感し、自分の性格が定まっていく(アイデンティティの形成)
3.性格形成に大切なもう一つの要素
「生まれつきの気質」と「生まれてからの経験」。
この2つの要因は、どれが良いとかどれが悪いとか、そのようなことはありません。
しかし、どの性格にも練度があり、それを高めるのは「自信」です。そして自信は「努力」をすることで培われていきます。
子供のころに自信がつくかどうかは、周りの人間の影響によるものがとても大きいです。
自分の努力が認められる環境だったかどうか?
自分のアイデンティティが認められてきたかどうか?
その違いによって、自信の大きさも変わってくるでしょう。
成人になるにつれて、自分の努力次第で自信をつけることができるようになっていきます。
自信がつけばつくほど、より練度の高い性格が形成されていきます。
自分の生まれつきの気質を知っているか知っていないかでは、経験値の量が変わってきます。
4.自分の性格を知らないとどうなるか?
最大のマイナスポイントは、自己否定に陥ってしまうことです。
具体的に言うと、他人と比較してしまうことで、自分らしさを前向きに成長させることができなくなってしまうこと。
自分の成長ポイントが分からず、まったく性格の違う他人と比較してしまい、自分らしさを見失ってしまったり、他人の価値観で生きていることに気づけず、なんとなく生きづらさを感じてしまったりすることになります。